毒ならいらない

親の愛と毒。『私』を生きたい娘の回想録

本当はピンクが欲しかった~子どもの自由な心を奪う母親の支配

子どもの自由な心を奪う母親の毒


本当はピンクが欲しかった
けど、そのときの私は緑色を選んだ


ずっと記憶に残っている出来事。

このエピソードは母親からの毒を分かりやすく表すものでした。

ピンクが欲しかった…けど


幼稚園にあがる前、たぶん3歳くらい。
とある音楽教室での記憶。

※私は幼稚園は年少・年長の二年制だったため、入園は4歳

何度か通っていたのかどうかは分からず…ただ、その日のことだけは覚えています。


同じような年の子どもたちがたくさんいて、みんなで遊びながら歌ったり簡単なダンスをしたり。今でいう〝リトミック〟に近い感じだったと思います。


そして、みんなで大きな輪になって座っていると、先生が順番に画用紙でできた旗を配り始めました。


先生の手にはいろんな色の旗。


〝好きな色言うのかな〟


どきどきしながら待っているといよいよ先生が目の前に来て、数本の旗を差し出してくれました。


〝ピンクがある!〟


ピンクが残っていたことに一瞬テンションが上がりました。でも、私はハッとして緑色を選びました。


本当はピンクが欲しかったけど、私は緑色を選びました。

ピンクを選ばなかったのではなく選べなかった?


どうしてピンクを選ばなかったのか
なんで緑色だったのか

そのときの情景は鮮明だけど、その根拠については深く考えたことがありませんでした。


でも、一つだけ。
私がピンクを選べなかった理由の手がかりがあります。


先のエピソードの中で一つだけ書いていないこと。


それは、私は旗を選ぶ瞬間

〝母親の顔を見た〟

ということです。


子どもたちの輪の周りではお母さん方が見学していたのですが、私は教室の隅の方にいる母親を見ました。


無表情のお母さん


笑顔でも怒り顔でもない。

何か言われたわけでも目配せがあったわけでもありません。ただ、私の中に〝ピンクはダメ〟という指令が走ったようです。


無表情だった母親に対して恐怖や嫌悪のような負の感情を抱いたかどうかは記憶にありません。


ただ〝母親の顔を見た私は反射的にピンクではなく、緑色を選んだ〟


ピンクが欲しかったけど、母親の顔を見たことでピンクを選ぶことができなかった。

これだけははっきりしています。

子どもの自由を奪う母親の見えない支配


私がピンクを選べなかった理由。
推測ではありますが、今なら分かるように思います。


私がピンクを選ばなかったのは
お母さんはピンクが好きじゃないから

私が緑色を選んだのは
お母さんは緑色を選ぶと喜んでくれるから
もしくは、何も言われないから


私は小さいながらも母の心や行動を先回りして読み、母親の顔色を窺いながら常に自分の〝好き〟を変えていたのではないか、と思います。


母はうまく言えないのですが〝かわいい〟や〝女性らしい〟など女性性に変な敵意のようなものを抱いている傾向がありました。

いつも茶や黒、紺などを好んで着ていて、私の服も同じように深い緑や紺のようなものが多く、友だちが着ているかわいいピンクやパステルカラー、ふわふわのフリルやレースに憧れていたことをよく覚えています。

幼稚園や小学校の頃、何度か思い切って着たい服を伝えてみたこともありますが、ものすごい形相で頭から怒られたり、私の好みを馬鹿にするような態度を示しそのまま無視されたりすることもありました。


お母さんの嫌いを選んだら怖い
お母さんの好きを選べば怒られない


このように、私が幼い時から日常的に母の見えない支配があり、私はいつの間に母に合わせて心の色や形を変え、子どもの自由な心を奪われていたのだと思います。

些細な記憶が教えてくれたこと


「ピンクを選べなかったあの日の私」はその後好きな色が答えられない私」となり、さらに「何が好きか分からない私」となっていくのです。


母親に自分の意見や思いを伝えても、母の意に添わなければゴミと同じ。


私が私を主張することに罪悪感を抱いたり、自分の心の中にあるものに価値や自信が見いだせなくなり、本来自由なはずの生身の心のほとんどは母親の支配に従順な機械となりました。


私の〝好き〟はこれです
私はこちらを選びます

たったこれだけのこと。
なのに毒の回った私は母親の前でものすごい苦痛を感じていました。


どれが正解なのだろう
どうしたら母は納得するだろう


私に問われているはずなのに、その答えは私の心の中ではなく母の心と頭にある。つまり、答えは私に聞く前から決まっていることなのだ。


親の毒に気づき、母親の支配に必死に抗い突き放していますが、今でもその力はかなり強力です。



本当はピンクが欲しかった

でも、私は緑色を選んだ


この後、これと同じようなことを何度も何度も繰り返し、母親の支配は強固なものに。そして、私は知らないうちに不自由な心を持たされていました。


ほんの些細な過去の記憶だと思っていたことが実は、毒親育ちの私にとって大きな意味を持っていたのです。

親を『毒』という子どもは親不孝者という誤解

親を毒親だという子どもは本当に親不孝者なのか?


毒親

これってかなり強烈な言葉ですよね。


「産んで育ててもらった親を〝毒〟と呼ぶなんて・・・」


親を『毒親
自分たちを『毒親育ち』

そういうことを口にすると周りから非難と批判、嫌悪や軽蔑の目を向けられることがあるのは分かっています。


当事者の私でさえ

親を毒だと思うこと
育った家庭を否定すること

これらを言葉にして表するまでには〝人として間違っているのではないか〟という葛藤を抱えていました。


なので、親を毒という人に対してマイナスな印象を抱く方々の気持ちもよく分かります。

それが一般的だと思います。



世間の当たり前に異を放つことは怖い。
優しく正しい人の冷ややかな視線はつらい。


それでも

親を『毒』と認識せざるを得なかった人がいるということ。

そして、それはそもそも

毒親育ちが望んでいたことではないということ。



今回は毒親育ちは親不孝者〟
という誤解についておはなししたいと思います。

毒親育ちは避けられない⁉︎『親不孝者』という烙印


私の家庭は外から見たら何の問題もない、どちらかというと豊かな家庭に見えていたと思います。

実際、衣食住に不自由したことはなく

教育も医療もお金を掛けていただき
外食も旅行もいろんなところへ連れて行ってもらえました。


父も母も基本的には礼儀正しく、社会的なルールから著しくはみ出るようなことも他人に故意に危害を与えるようなこともない、ごく一般的な人といえます。


そのため、ごく一部の人に

「実は親が毒親だったんだ」

思い切ってそんなカミングアウトをしたとき、それを聞いた相手は驚きや困惑を口にしたり、何となく私への失望というか残念そうな表情を浮かべたりする人もいました。


その方々の反応は当然です。

激しい身体的暴力や育児放棄などのような分かりやすい虐待を受けていたわけではない、むしろ恵まれているはずの私がそんなことを言い出したのですから・・・


話を聞いてくださった方々の反応は、これまでの私が人として
正しい心をある程度持っている人間であると認識し、また、そうであるはずだと期待してくれていたからこそだと思います。


私はそんな人たちの心を裏切ってしまった、困らせてしまったという後悔と嫌われたかもしれないという不安、相手に上手く伝える術のない自分への不甲斐なさに襲われました。


また、紛れのない真実であっても、
親が『毒親』だと周りに伝えたことへの罪悪感も胸を締めつけました。



『親不孝者』


世間一般から見れば親を毒と呼ぶのはよい印象がありません。

どんなに過酷な環境、悲惨な関わりに揉まれてきていても、その実情を理解してもらうにはかなりハードルが高いと実感しています。


周りからの誤解の目は良心の呵責や理解してもらえない孤独をもたらし、そこから逃れようと〝私の考えは間違いだ〟と改めようとしたり、自責の念を募らせ自ら親不孝の烙印を受け入れてしまったりしました。


毒親育ちの抵抗と葛藤


親が嫌い でも、嫌われたくない

逃げたい でも、見捨てられない

信頼と不信感、感謝と憎悪、敬愛と軽蔑…


親に対しては、ひとつの心に同居し得ないはずの相反する感情が渦巻いています。


このような複雑な感情を抱えた毒親育ちは私以外にも結構いるのではないかと思います。


親に喜んでほしい、笑ってほしい。
そんな純粋な子ども心だってあります。

心の奥には親を慕い、愛し愛されたいと願う自分がいるけれど、親から返ってくるのは〝愛のような〟毒。


自分の中の常識や良識、良心、信念。

それらは当然のように〝親を敬い感謝する〟という答えを正解としているにもかかわらず、私の心はそれを飲み込むことができない。


愛と毒にまみれた約40年。人生の折り返し地点でやっと真実を見つめる機会を得ました。

でも、親が毒親だと気づいて拒絶すればすぐに何もかも解放されて楽になるわけではなく、親を否定することへの抵抗や、親の愛だと思っていたものが私を苦しめる足かせだったと受け止めることへの葛藤はものすごくありました。


みんな同じ気持ちではないと思いますが、親を『毒親』だと認め、それを声に文字にする人、助けてほしいと手を伸ばす人、認識できても心の渦から動けずにもがいている人も・・・きっと毒親の元で育った子どもの多くは最初から親を毒だと名付けていたわけではないし、そうしたかったわけでもないと思うのです。



自分が自分の人生を生きるには
自分が生き続けるには

親を毒だと認めなければならなかった。

実際、私はそれで自身の命をつなぐことができた。



毒親育ちが毒親の真実に気づき、そこから立ち上がろうとしても周りの目や自身の抵抗・罪悪感などから生じる〝
親不孝者という烙印〟がその人の心身の回復と新たな自立の機会を奪ってしまうこともあると思います。


毒親育ちが親の毒を振り払い、本当の自分の人生を歩むには
その烙印を乗り越えなければならないのです。

 

世の中には毒になる親に育てられた人がいるという現実


人によって家族、育つ環境、出会う人などはさまざまです。


毒親のいる生活
毒親に育てられるということ
そこから生じる心身への負の影響

これらはどこにも当たり前にあることではないので、なかなか周りには理解しがたいことだと思います。


先にお話したように、思い切って打ち明けても相手が人として正しい心を持った方であればあるほど話がかみ合わず、お互いにつらい感情を分け合うようなことになったり、もしかしたら当事者の私でさえ、自分の心が壊れて命が脅かされる状況に立たなければ〝毒親〟を語る人たちを非常識だと非難していたかもしれません。



親と毒

一見結びつかないもの。


でも、子どもにとって『毒になる親』というのは残念ながら存在しています。

そして

今も毒の中で必死にもがいている人がたくさんいます。



親を毒というのは親不孝者



確かに酷いことかもしれません。

でも、毒親育ちの多くは幼少期から理不尽な悲しみや傷みを強いられ、心身を犠牲にしてきたという過程があるということ、また立ち上がって前に進むためにはその事実を認め、向き合う必要があった。

親を毒と認識することは、毒親育ちのただの甘えやわがままではなく、自らを守るために必要な正当な防具だと理解していただけると救われます。


『親不孝者』という言葉や空気に心を傷めてきた一人として、私なりにその誤解を払拭していきたいと思っています。

そのために、ただ被害者として親の悪口や不平・不満を綴るのではなく、毒の体験や経験が思考の歪みや心の傷を生み、それらが人生にどのように根を張り影響を及ぼしていくのかなどを私なりにたどることで微力ながらも役立てればと思います。




愛だと思っていたのは毒だった。親の毒に気づいた娘の過去・今・これから

毒になる親、毒のある家庭で育った娘の過去・今・これから

はじめまして。
七々彩りえと申します。

『毒ならいらない』は、いわゆる親』のもとで育った私の経験や体験をもとに過去・今・これからについて綴ってまいります。

私の両親・家族との日常生活、家庭内の問題、トラブルなどを通し毒親』『毒親育ち』の実態や私なりの気づきや考察などもお伝えしていきたいと思います。

 

そもそも『毒親』の『毒』ってなに?


だいぶ前、記憶も朧気ですがなんとなく耳にするようになってから、今では様々なメディアや日常会話の中でも簡単に触れるようになった毒親という言葉。

同じような並びで『親ガチャ』なんてポップな響きの言葉も誕生している昨今。


そもそも毒親』とは?

『毒』というおどろおどろしい言葉で形容される親ってどんな親なのか?

 

毒親(どくおや、toxic parentsは、毒になる親の略で、と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年スーザン・フォワードブルガリア語版(Susan Forward)が作った言葉である[1]。学術用語ではない。の場合は毒母毒ママ[2]の場合は毒父[3]等と称されている。スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』



毒親』と
は、もともと心理学などの学術的な専門用語ではなく、スーザン・フォワードが作った『毒になる親』という言葉が略されてできたものです。


スーザン・フォワードが


「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」



と毒になる親を定義しているように


暴力・暴言・虐待
過保護・過干渉・ネグレクトなど

子どもの心身を傷つけたり、健全な成長を妨げて人生に悪影響を及ぼすような親のことを『毒親』といいます。


そして、そのような毒となる親、毒のある家庭で育った子ども毒親育ち』と呼ばれたりしています。



毒親育ちの子どもは、親がもたらす『毒』によって思考・感情・行動を支配され、いつまでもありのままの自分を肯定できず、自己を確立できないまま大人になってしまう傾向にあるようです。


毒親』と一括りに表されていますが、毒親のタイプやその『毒』の種類、子どもにもたらされる影響もさまざまです。

親の毒に気づいた毒親育ちにできること


〝親の愛だと信じていたものが実は毒だった〟


親の毒に気づき、毒親育ちを自覚した私。

過去・今・これからに思いを巡らせるうちに『ほんとうの私』で私の人生を生きたいという気持ちが芽生えてきました。


毒にうずくまっていた私が気づきを得て一歩前に踏み出そうという希望を持つことができたのは、周りのあたたかい人たちの励ましや毒親や親子の問題についての知識や情報、学びのおかげです。


しかし、今もまだ完全に毒を克服できているわけではなく、現在進行形で一進一退を重ねながら奮闘している状態です。


このブログでは、毒親毒親育ちの体験や経験だけでなく、過去に蓋をせず、今に向き合いながら等身大の毒親育ちの思考・感情・行動、また気づきや学び、私なりの考察なども綴ってまいりたいと思います。


私のために。
そして、同じような境遇で悩んだり苦しんでいる方々の心に寄り添い、少しでも励みになるような場所にしていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。


モラハラを受ける妻の特徴と毒親育ちの関係性について

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