親を毒親だという子どもは本当に親不孝者なのか?
『毒親』
これってかなり強烈な言葉ですよね。
「産んで育ててもらった親を〝毒〟と呼ぶなんて・・・」
親を『毒親』
自分たちを『毒親育ち』
そういうことを口にすると周りから非難と批判、嫌悪や軽蔑の目を向けられることがあるのは分かっています。
当事者の私でさえ
親を毒だと思うこと
育った家庭を否定すること
これらを言葉にして表するまでには〝人として間違っているのではないか〟という葛藤を抱えていました。
なので、親を毒という人に対してマイナスな印象を抱く方々の気持ちもよく分かります。
それが一般的だと思います。
世間の当たり前に異を放つことは怖い。
優しく正しい人の冷ややかな視線はつらい。
それでも
親を『毒』と認識せざるを得なかった人がいるということ。
そして、それはそもそも
毒親育ちが望んでいたことではないということ。
今回は〝毒親育ちは親不孝者〟という誤解についておはなししたいと思います。
毒親育ちは避けられない⁉︎『親不孝者』という烙印
私の家庭は外から見たら何の問題もない、どちらかというと豊かな家庭に見えていたと思います。
実際、衣食住に不自由したことはなく
教育も医療もお金を掛けていただき
外食も旅行もいろんなところへ連れて行ってもらえました。
父も母も基本的には礼儀正しく、社会的なルールから著しくはみ出るようなことも他人に故意に危害を与えるようなこともない、ごく一般的な人といえます。
そのため、ごく一部の人に
「実は親が毒親だったんだ」
思い切ってそんなカミングアウトをしたとき、それを聞いた相手は驚きや困惑を口にしたり、何となく私への失望というか残念そうな表情を浮かべたりする人もいました。
その方々の反応は当然です。
激しい身体的暴力や育児放棄などのような分かりやすい虐待を受けていたわけではない、むしろ恵まれているはずの私がそんなことを言い出したのですから・・・
話を聞いてくださった方々の反応は、これまでの私が人として正しい心をある程度持っている人間であると認識し、また、そうであるはずだと期待してくれていたからこそだと思います。
私はそんな人たちの心を裏切ってしまった、困らせてしまったという後悔と嫌われたかもしれないという不安、相手に上手く伝える術のない自分への不甲斐なさに襲われました。
また、紛れのない真実であっても、親が『毒親』だと周りに伝えたことへの罪悪感も胸を締めつけました。
『親不孝者』
世間一般から見れば親を毒と呼ぶのはよい印象がありません。
どんなに過酷な環境、悲惨な関わりに揉まれてきていても、その実情を理解してもらうにはかなりハードルが高いと実感しています。
周りからの誤解の目は良心の呵責や理解してもらえない孤独をもたらし、そこから逃れようと〝私の考えは間違いだ〟と改めようとしたり、自責の念を募らせ自ら親不孝の烙印を受け入れてしまったりしました。
毒親育ちの抵抗と葛藤
親が嫌い でも、嫌われたくない
逃げたい でも、見捨てられない
信頼と不信感、感謝と憎悪、敬愛と軽蔑…
親に対しては、ひとつの心に同居し得ないはずの相反する感情が渦巻いています。
このような複雑な感情を抱えた毒親育ちは私以外にも結構いるのではないかと思います。
親に喜んでほしい、笑ってほしい。
そんな純粋な子ども心だってあります。
心の奥には親を慕い、愛し愛されたいと願う自分がいるけれど、親から返ってくるのは〝愛のような〟毒。
自分の中の常識や良識、良心、信念。
それらは当然のように〝親を敬い感謝する〟という答えを正解としているにもかかわらず、私の心はそれを飲み込むことができない。
愛と毒にまみれた約40年。人生の折り返し地点でやっと真実を見つめる機会を得ました。
でも、親が毒親だと気づいて拒絶すればすぐに何もかも解放されて楽になるわけではなく、親を否定することへの抵抗や、親の愛だと思っていたものが私を苦しめる足かせだったと受け止めることへの葛藤はものすごくありました。
みんな同じ気持ちではないと思いますが、親を『毒親』だと認め、それを声に文字にする人、助けてほしいと手を伸ばす人、認識できても心の渦から動けずにもがいている人も・・・きっと毒親の元で育った子どもの多くは最初から親を毒だと名付けていたわけではないし、そうしたかったわけでもないと思うのです。
自分が自分の人生を生きるには
自分が生き続けるには
親を毒だと認めなければならなかった。
実際、私はそれで自身の命をつなぐことができた。
毒親育ちが毒親の真実に気づき、そこから立ち上がろうとしても周りの目や自身の抵抗・罪悪感などから生じる〝親不孝者という烙印〟がその人の心身の回復と新たな自立の機会を奪ってしまうこともあると思います。
毒親育ちが親の毒を振り払い、本当の自分の人生を歩むにはその烙印を乗り越えなければならないのです。
世の中には毒になる親に育てられた人がいるという現実
人によって家族、育つ環境、出会う人などはさまざまです。
毒親のいる生活
毒親に育てられるということ
そこから生じる心身への負の影響
これらはどこにも当たり前にあることではないので、なかなか周りには理解しがたいことだと思います。
先にお話したように、思い切って打ち明けても相手が人として正しい心を持った方であればあるほど話がかみ合わず、お互いにつらい感情を分け合うようなことになったり、もしかしたら当事者の私でさえ、自分の心が壊れて命が脅かされる状況に立たなければ〝毒親〟を語る人たちを非常識だと非難していたかもしれません。
親と毒
一見結びつかないもの。
でも、子どもにとって『毒になる親』というのは残念ながら存在しています。
そして
今も毒の中で必死にもがいている人がたくさんいます。
親を毒というのは親不孝者
確かに酷いことかもしれません。
でも、毒親育ちの多くは幼少期から理不尽な悲しみや傷みを強いられ、心身を犠牲にしてきたという過程があるということ、また立ち上がって前に進むためにはその事実を認め、向き合う必要があった。
親を毒と認識することは、毒親育ちのただの甘えやわがままではなく、自らを守るために必要な正当な防具だと理解していただけると救われます。
『親不孝者』という言葉や空気に心を傷めてきた一人として、私なりにその誤解を払拭していきたいと思っています。
そのために、ただ被害者として親の悪口や不平・不満を綴るのではなく、毒の体験や経験が思考の歪みや心の傷を生み、それらが人生にどのように根を張り影響を及ぼしていくのかなどを私なりにたどることで微力ながらも役立てればと思います。